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多様な表現手段があっていいじゃないか。

私たちのコミュニケーションの中心は、話しことば、とされることが多いですが、

実際には、人は、色んな手段を使っていることに、気づいていますか?

 

話し言葉が使えなくても、こうやって、文字にしたり、写真を撮ったり、手紙にしたり、身振りを使ったり、視線を使ったり、表情を使ったり。

よく例に出されるのは、外国語ができなくても、人は、何らかの手段でコミュニケーションを取り合うことができる、ということです。

 

ですが、日本に生まれ、日本で育ち、日本で暮らしていく際には、日本語の、しかも、話しことばが注目されやすいのではないでしょうか。

 

たまたま、私は、仕事で、現在の社会では生きづらい人たちと10年近く過ごしてきました。その人たちは、その人たちが得意ではない表現手段を求められたり、その人たちがわかりにくい会話の中で暮らしながら、誤解したりされたりをしていることが、少なくないようでした。

 

そして、自分もまた、話し言葉で自分を表現することが、とても苦手で、人とコミュニケーションをすることが、とても苦手で、自信がなく「自分がない」人間でした。

人前で話すようなことがあれば、隣の人に音が聞こえるのではないかというくらい激しく心臓がバクバクしました。

 

でも、自分が使える手段で表現ができること人が認めてくれること、そういう積み重ねがあって、少しだけ自分の生きやすさレベルを上げることができました。

 

最初はまとまらなくても、少しずつ自分の考えが伝わり、受け止められて、きちんと評価されることを繰り返しているうちに、相手のことも受け止めたかったり、認めたいと思えるようになりました。

そんな日々を繰り返していたら、いろんな人に優しくなれました。

一度ついた、ネガティブ思考の癖は、なかなか根深いですが、それでも、「いや、まてよ」と見直すことが増えました。

 

周りにいてくれた人たちが、いかに環境を作ってくれていたのかを、自分を受け止めようとしてくれていたのかを、今は少し振り返っています。

 

この何年かで考えていたことを、あぁ、ありがたかったなぁ、とか、素敵だったなぁ、とか、そういう事柄や、出会った人のことを少しだけ、忘れないうちに、書いておきたいと思うようになりました。

 

そして、コミュニケーションが苦手だ、とか、人から誤解されやすい人たちについても、自分が知っていることは、書いておくのもありなのではないかと

 

文才はないし、気が散りやすいので、あちこちしながら、少しずつ。