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まめまめ日和

40代からの日々の生き方、暮らし クラウドソーシングを利用したしごとについて

四十九日法要終わりました。>忌中と喪中の違いってなんだろう?

ばあちゃん四十九日法要終わりました。

今時珍しいくらいの、お土産つきで、田舎だなぁと思うた次第です。
でも来てたのは、母の従兄弟が中心で、ハトコの代になると、もうね、本当に知らないわけで、この先はどうしようかなぁと思ったけど、まぁ、なるようにしかならんでしょう。
 
 
さておき、
 
玄関に貼ってあった忌中の札をとりました。で、今年は喪中はがきを出さねばね、なんてオカンと話していて、ふと「忌中と喪中は何か違うんかなぁ?」と思い調べてみました。
 
 
 
 
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「忌中」「喪中」の違いってなぁに?

 
そもそも、身近な人が亡くなったときに、喪に服すという、ならわし。
「一定期間、外出や社交的な行動を避けて身を慎むようにする」ということになりますが、
 
一般的には
 
「死の穢れを祝いの場へ持ち込まない、殺生をしてはいけない期間」のことを「忌中」
=四十九日まで
 

故人を偲ぶ期間を「喪中」

=1周忌まで

というらしい。

忌中に入った方は、祝い事(結婚式とか)を延期したり、お呼ばれをお断りしたりするらしい。それは、相手方のことを考えてのこと。昔は、家から出ないような地域もあったそうだ。

喪中は、故人を偲ぶ期間ということなので、つまり、気遣う相手が違うってことですかね。

しかし・・・

浄土真宗は、実は忌中・喪中という考えがない( ゚Д゚)

調べていたら、浄土真宗では、「死は穢れ(けがれ)」とは捉えないらしいので、実は忌中、喪中の説明にあるような、これといった制限とか、期間とかはないらしい。

 

えっ?( ゚Д゚)

うち、浄土真宗ですけど・・・。

 

浄土真宗では、亡くなったと同時に仏になって浄土に行けるという考えであるので、お葬式後も今までどおりに、過ごしていい。

ただ、地域によっては、地域の風習としてのアレンジが加わっている。

あ、だからうちには忌中があるんだ。

 

お経も、死んだ人ではなく、生きている人に向けたもの中陰という考え方も、別に亡くなった人が、7日ごとに、閻魔さんの裁きを受ける必要がなくて、ざっくりいうと、遺されたものが、7日ごとに、お経を唱えて、自らの人生について考える機会となるように、あるんだそうな。

 えー、過去記事違ってました。

 

mikanbkr.hatenablog.com

 

 

特にしてはいけないこともなく、喪中はがきも出さなくていいようで、そもそも「喪中はがき」という言い方はしないんだそうな。ただ、気持ち的に正月を祝えない、ということで「年賀欠礼ハガキ」を出す人もいるそうです。

私が思ったのは、亡くなって悲しい時間を「喪中」と区切ることで、いつまでも、ずるずる悲しむことをせず、前向きに過ごせるようになる、と思って良さそうな気がします。

現世をぼちぼち、がんばって徳を積みなよ、ってことか。浄土真宗は、あまり細かいことは言わず、信仰心があれば、亡くなった人は、阿弥陀如来の力(他力)で、すぐに浄土に行くことができる(他力本願)から、死を怖がることなく、遺された人もあまり哀しみすぎず、自分の人生頑張ってね、みたいなことなんかな、と。

親鸞聖人が「庶民向け」に広めた宗派なので、ざっくり、何でもあり!なんでしょうね。だからこそ、結構広まったのかなぁと。

そもそも、私は自分がお葬式に出るような故人の方が穢れであるとは思いにくくて、貰った清め塩もゴミ箱に捨てて生ごみと一緒になるのはさすがに忍びなく、なので適当にそのあたりにまくような人間なので、意外と「親鸞聖人」の説法を聞いたら、結構うなずいてしまうんじゃないかと思えてきた。

まぁ、私は「やおよろずの神さま」の考えかたが好きなんですけどね。

 

遺された人が、いつか前を向いて生きていけるように

たまたま調べたら、そういうことでしたが、でも、なんとなく、ばぁちゃんが旅に出てから、ざっくり過ごしているし、ばぁちゃんも、別に気にしてないだろうな、と思っていました。たぶん、ペロッと舌を出して笑っていると思っていました。

じいちゃんのときは、10代で、しかも精神的にも幼かったので、お客さん状態で参加するだけでしたが、ばぁちゃんについては、いろいろ裏方仕事をみました。宗派を超えた地域の風習みたいのもあるので、なんとなく、精進料理とか、そういう風習は残っていて、色々、アレンジはされているけれど、実は、まぁ、遺された人たちが、集まってワイワイやって、自分たちの関係性とか、今の気持ちや体の状態を確認し合う場所を、提供してもらっているのかもね、と思った次第でした。

 

あくまでも、ばぁちゃんの場合でした。

自分は別に信仰心が強いわけではないけれど、たまたま、今回のテーマについて興味をもって調べるだけの心の余裕が、すでに、今の時期にあった。

時々泣けてくるけど、笑うし、食べるし。

でも、それは、ばぁちゃんが、ちゃんと寿命を全うしてから逝ったから感じたのだと思います。

世の中には、色々な逝き方があります。ワイワイやるどころではない、哀しいこともたくさんある。いつまでも、手放すことができない哀しみもたくさんある。故人の無念さもある。

改めて、なんだかんだ自分が、毎年、年を重ねていることに感謝し、自分の周りの人も、ほどほどに元気で暮らせていることに感謝するとともに、癒えない哀しみと暮らしている方々に、ほんの少しでも笑顔が戻りますように、と願って、今日のログは〆たいと思います。

 

今日もありがとうございました。